生物学・科学に関する雑感。

現在ウィスコンシン・マディソンに研究留学中


2012年01月23日

宮崎哲弥 仏教教理問答

宮崎哲弥 仏教教理問答 [単行本(ソフトカバー)] / 宮崎哲弥 (著); サンガ (刊)

評論家/コメンテーターとして著名な宮崎哲弥氏ですが、彼がいろいろな所で言っているのは、彼の本当の関心事は政治経済問題などではなく、宗教やサブカルチャーであるということです。中でも「専門」は仏教であり、そんな彼の初めての仏教書がついに出ました。

若手の僧侶5人との連続対談ですが、やはり宮崎氏の立ち位置はインド仏教哲学の中観派で変わりなく、大乗仏教の論客たちとの対話も、それなりの一致点は見いだしつつも、やはり納得しきっていない様子が随所に見られます。確かに、極楽浄土が実在する、などと言われるとちょっと私も引いてしまいます。氏の関心事は、数多くある宗派の教義のどこに矛盾があるか、そして、どんどん付け加わって来た新しい教義、解釈の、どれをどうはぎ取って、本当に取り上げるべき考え方(哲学)は何かを示すことにあるように感じます。今後の著作にも多いに期待します。
posted by シロハラクイナ at 01:40| シカゴ 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 書籍(文芸・人文社会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
これは買いですな。
最近、仏教に、というか多分キリスト教的な「許す」ってことに興味があります。でも許し過ぎたらアーミッシュになってしまうので、難しいとこです。仏教はもっと気になる。


Posted by つか at 2012年01月23日 12:54
あら、この話題に食いついてくれる人がいたとは(笑)。

仏教的には、というか宮崎哲弥風の中観思想でいけば、人というのは一時的な縁の集合に過ぎないので、許されざることをしたとしても究極的にはその責任はその人にはありません。というか人というのは実体の無いものだから。そうすると許すしかなくなるはず?それとは別に、この本では浄土真宗の人とかも出てくるから、人はみな悪人、とかいう話も出てきます。

キリスト教的な許しというのは、よくわからないな。やっぱり神の存在を前提としなければ成り立たない考えかたでしょう?
Posted by シロハラクイナ at 2012年01月23日 13:54
やっぱ神さまがお許しになられるから、あるいは、許しなさいと教えられたからか。。。
神さんはどんな悪人でも許しちゃうはずだけど、キリスト教徒が誰かを許すときって、神さんが許せっていうから自分も(しょうがなく)許すのか、人間は何かしら間違いを犯すものだからしょうがないと自分の中で悟っていないといけないのか、ちょっとだけ興味がありました。。
宗派がいっぱいあってややこいんだよね。仏教も色々あるみたいだから、誰か体系的にまとめてくんないかななんて思っていました。
食いついちゃいました。。
Posted by つか at 2012年01月23日 16:25
なぜ許すか…身の回りにキリスト教徒がほとんどいないので(進化生物学分野ではほとんどの人が反キリスト教)聞いてみることすらできないわ…。アメリカ人は、なんでも笑って許しちゃうイメージだけど、それが宗教に基づいているのかは不明。
Posted by シロハラクイナ at 2012年01月24日 01:22
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