生物学・科学に関する雑感。

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2009年12月03日

虹の解体


虹の解体―いかにして科学は驚異への扉を開いたか

虹の解体―いかにして科学は驚異への扉を開いたか

  • 作者: リチャード ドーキンス
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 単行本




ドーキンスの1998年の著作”Unweaving the Rainbow”の翻訳版で、2001年に出版されています。

メモしておきたいフレーズは数多くありますが、何と言っても、このご時世に、心に響く一節がありましたので長くなりますが引用しておきます。

しばしば狭量な評論家が質問するー科学の役割とはいったい何か、と。いま述べたことが答えだと私はいいたい。誰が書いたのかはっきりしないが、こんな逸話がある。あるとき、マイケル・ファラデーが同じ質問を受けた。科学はいったい何に役立っているのか、と。ファラデーはこう質問しかえした。「では、生まれたばかりの赤ん坊はいったい何に役立ってますか」。別に話の主人公が、ベンジャミン・フランクリンであろうが誰であろうが、この話の謂は、赤ん坊は今の時点では何の役にも立っていないけれども、未来に対しては大きな可能性を秘めているということだろう。私は、この話に別の意味を持たせることができると思う。この世に生まれた赤ん坊の役割は、確かに職を手につけて働くことであろう。しかし、すべてのものごとの判断基準をその”有用性”だけにおき、生を受けたことの有用性は生きていくために働くことというのなら、それは不毛な循環理論にしかならない。生を受けたことの意味を問うのなら、何らかの価値がそこに付与されなければならない。生きるために働くといった目的本意な説明ではなく、生きること自体に何らかの意義づけが必要である。その意義付けとは、芸術支援に税金が使われてよいとする理由にもなろうし、希少種の保存や歴史建造物の維持を正当化する理由にもなろう。野生の象や古い建物を保存するのは、そこから何らかの経済的利益が見込めるからだという輩がいるが、こういった連中に有効に反論できなければならない。科学に関してもまったく同じである。もちろん科学は利潤をもたらし、科学は役に立つ、しかし、それが存在意義のすべてではない。

科学は赤ん坊と同じで、我々の未来そのものです。新しい産業のもととなる、という意味でも、生きる希望をもたらすという意味でも。自信を持って行きましょう。
posted by シロハラクイナ at 14:57| シカゴ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍(翻訳もの) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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